八尾の地名の由来や歴史について紹介します! by未来都タクシー

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目次

▼八尾の地名の由来について

▼八尾は昔『河内国』だった!?

▼昔の壱萬圓札で有名な聖徳太子も、八尾で活躍しています!

八尾の地名の由来について

こんにちは、八尾の運行管理者です。

今回は八尾の由来や歴史についてお話ししたいと思います。

八尾の地名の由来、所説有る様ですが・・・

 

①その昔、この地に一羽のウグイスがいて、その声はたいへん美しく、不思議なことに、

このウグイスには尾羽根が八枚ありました。

このことが評判になり、ウグイスが止まる木を「八尾木」と呼ぶようになり、

いつしかこの村を『八尾』と呼ぶようになったといわれています。

 

②八尾の地には大昔、弓や矢を生産する部族が多く集まっていて、

出来上がった矢を背に負い運ぶことが多かったことから、

「矢負い」が「矢尾」になり、『八尾』になった。

 

③旧大和川がこの地を流れていて、洪水を防ぐ堤を作る際に数えきれないほど

「八百」(たくさんの意)の杭を打ったことから転じて『八尾』になったといういわれがあります。

 

う~ん、どれもそれっぽいですねぇ

八尾は昔『河内国』だった!?

八尾は、旧国名で言うと『河内国』

その中の「中河内」が、今で言う「東大阪市」「八尾市」「柏原市」の三市だそうです。

知ってましたか?

昔は、南西部の『和泉国』も含めて『河内国』だったとの事ですが。。。

『河内国』の国府は、「藤井寺市」にあったんだって!

皆さんが、子供の頃、歴史で習ったであろう旧国に一つずつ作った

「国分寺」と「国分尼寺」は、「柏原市」にあったとの事。

「国分尼寺」は、推測らしいですが、、、w

そして「一の宮」は「東大阪市」の枚岡神社だったそうです。

こんな風に歴史の視点から、街を見直すと面白いですね~

もし街を巡る際は、コロナ対策バッチリ、ドア・ツー・ドアで楽々で移動できる

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昔の壱萬圓札で有名な聖徳太子も、八尾で活躍しています!

ここで誰もが知っている「聖徳太子(厩戸皇子)」が出てきます!

飛鳥時代には、八尾の一帯は物部氏の勢力圏下にあり、その武具を製造する集団が

居たとされている(またそのことが市名の由来となっている↑)が、

物部氏は「物部守屋(もののべのもりや)」の時代に、「蘇我馬子」や「厩戸皇子」らと

この八尾で戦い敗れたために滅亡。この戦いは丁未の乱(ていびのらん)と言われています。

そして大聖勝軍寺付近に「物部守屋」の墓と伝わっている。(本当かな?)

 

 

この戦いの時に「厩戸皇子」は仏法の加護を得ようと白膠(ぬるで)の木を切り、

四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、勝利すれば仏塔を作り仏法の弘通に努めると誓って、

後に有名な「四天王寺」を建立したんだよね!だから、この地域を太子堂と呼ばれるんだねwww

飛鳥時代、日本の中心は奈良、そして堺から世界につながっていた。

八尾はその中間にあるため、歴史上、重要な土地だったことがことが分かりますね~

以上、八尾の由来と歴史についてでした!

 

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